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2007年08月21日の記事詳細

平成19年度 全校登校日

2007.08.21

『祈りの手』 

 

私の生まれた一年前1945年8月、広島、長崎と続けて原爆が投下され、世界で数千万人もの犠牲者を出した第2次世界大戦が終わりました。その時から、日本国民は永久の平和を世界に宣言し、自ら実践することを誓いました。夏休みのある8月という月は、いかに平和を守るべきかという人類の大きなテーマと、私たち一人ひとりのかけがいのない命の尊さを真剣に考えるべきとても重要な月であると思います。ぜひ考えてください。

私は今の人間社会で心配なことがあります。目の前のこととか自分に直接利害が関係することには素早く反応するけれど、自分以外の人の痛みを無視したり、軽く見たりする人が多くなっていないかということです。

 

そこで、今日は友情についてある人物の話を聞いてほしいと思います。

アルブレヒト・デューラーという人をご存じでしょうか。ルネッサンス時代の優れた画家ですが、作品の中に「祈りの手」という有名な版画の作品があります。

今から、約500年前のことです。ドイツのニュールンベルグの町にデューラーとハンスという若者がいました。2人は版画を彫る親方の元で見習いとして修行していましたが、毎日忙しいだけで勉強ができませんでした。思いきってそこをやめて絵の勉強に専念したいと思いましたが、2人の家は貧しく働かずに勉強できる余裕はありませんでした。2人は思案に暮れていましたが、ある時ハンスがデューラーに1つの提案をしました。「2人が一緒に勉強はできないので、1人ずつ交代で勉強しよう。1人が働いてもう1人のためにお金を稼いで助けよう。そして相手の勉強が終わったら今度は自分が勉強し、相手の方は働いてそれを助けるのだ。」どちらが先に勉強するのか、2人は譲り合いました。「デューラー、君が先に勉強してほしい。君の方が僕よりちょっぴり絵がうまいから、きっと早く勉強が済むから。」ハンスの言葉に感謝してデューラーはイタリアのベネチアへ絵の勉強に行きました。ハンスはお金がたくさん稼げる鉄工所に勤めることになりました。

 

デューラーは先生について一生懸命勉強しました。「1日でも早く勉強を終えてハンスと代わりたい。」とハンスのことを思い寝る時間も惜しんで絵の勉強をしました。一方残ったハンスはデューラーのために早朝から深夜まで思いハンマーを振り上げ、今にも倒れそうになるまで働きお金を送りました。1年、2年と年月は過ぎていきましたがデューラーの勉強は終わりません。勉強すればするほど深く勉強したくなるからです。ハンスは「自分がよいと思うまでしっかり勉強するように」との手紙をつけてデューラーにお金を送り続けました。数年後ようやくデューラーはベネチアでも高い評判を受ける画家になり、勉強は終わりました。「よし今度はハンスの番だ。代わってあげよう。」と急いでデューラーはニュールンベルクの町へ帰りました。2人は再会を手を取り合って喜びました。

 

ところがデューラーはハンスの手を握りしめたまま男泣きに声を上げて泣き出したのです。なんとハンスの両手は長い間の力仕事でごつごつになり、絵筆はもてない手に変わってしまっていたのでした。「僕のためにこんな手になってしまって」と言ってデューラーはただ頭を垂れるばかりでした。しかしハンスは「心配するな。こんな手ではもう絵筆は持てないが、ハンマーを持たせたら天下一品なんだぞ」と言ってデューラーを慰めました。「有り難うハンス。許してくれ」と謝ったデューラーは自分を犠牲にしても画家にしてくれたハンスのごつごつした手を心を込めて描き上げました。デューラーが立派な画家になるようにと祈りを込めて働いたハンスの手を描いたことから「祈りの手」と呼ばれています。

是非一度じっくりと鑑賞してください。

苦しい体験を超えて獲得した価値観は、自分の生き方を満足させる原動力になる。ということを感じました。そして、身近な人を大切にすることや隣にいる友の痛みを察して行動に表すことと、広く世界の平和のあり方を考えること、これらのことを1つの視線で結ぶことができるようになってほしいと心から念願します。

 

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