平成20年度 全校登校日 |
2008.08.20 |
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私の生まれた一年前1945年8月、広島、長崎と続けて原爆が投下され、世界で数千万人もの犠牲者を出した第2次世界大戦が終わりました。その時から、日本国民は永久の平和を世界に宣言し、自ら実践することを誓いました。夏休みのある8月という月は、いかに平和を守るべきかという人類の大きなテーマと、私たち一人ひとりのかけがいのない命の尊さを真剣に考えるべきとても重要な月であると思います。ぜひ考えてください。
私は今の人間社会で心配なことがあります。目の前のこととか自分に直接利害が関係することには素早く反応するけれど、自分以外の人の痛みを無視したり、軽く見たりする人が多くなっていないかということです。今日は、私から皆さんに、ある女性(母)と子供たちの話をしたいと思います。それは、今から30年以上前にさかのぼります。
ベルギーのある町から始まって、ベネルクス3国はもちろん、その他の国々にも、野火のように広がった運動がありました。ごく普通の生活程度の女性(母)たちと、その子供たちが広め続けていたこの運動は、日本にも紹介されました。それは、「もひとりの友達」と呼ばれる。具体的に何をするのか。例えばクリスマスや正月、あるいは子供の誕生日にパーティをするとき、または祝日などにいつもよりちょっと御馳走するとき、「もひとりの友達」という文字を書いた箱を、母親がテーブルの上に置く。「もひとりの友達」という文字の下に、図案化した世界地図を書く人、手を差しのべているアフリカや、南アジアの飢えた子の写真を貼る人もいる。その箱はティシューの空き箱や、適当な大きさの空き缶などである。
「これなあに」と、始めて箱がテーブルの上にあらわれた日、子供は母親に聞く。母は答える。「もひとりの友達を呼んであるの。でも、遠くにいるから来たいけど来られないの。」子供は続けて聞く。
「遠くってどこ?」
母親は、「さあ、アフリカかしら、カンボジアかしら……御馳走が食べられないの。いいえ、御馳走どころか、パン一切れ食べられないの」
子供の反応は、この辺でさまざまとなる。どうして食べられないの、と聞く子もいる。
可哀相だね、お母さんパンを送ろうよ、と言う子もいる。
そこで、母と子の難民・飢餓問題を含むいわゆる「南北問題」をめぐる会話が始まるのである。そして、子供の心に、子供の理解の範囲内で、今の世界の現状の一端がとらえられたとき、母は言う。「今日パーティに来るのは十人でしょ、でも本当は一人多いのよ、だからね、も一人分のお金をみんなで節約して、この箱に入れましょうね。そのお金を今日来られなかった、今日パンを食べられないそのお友だちに送りましょう。」
「僕は今朝パン食べたもの、お菓子はきょうはいらないよ。」などという子は非常に多いという。そうこうするうちに時刻が来て、他の子供たちがやって来る。箱を見る。
「これ、なあに」と、口々に、今度は主人役の子供に尋ねる。母は黙って見、聞いている。子供は得意になってさっき得た知識と感動を、自分の頭で考えまとめながら、自分の言葉と表現で、友達に伝える。パーティがすんで子供たちは家に帰る。家では両親・兄弟に、翌日はクラスの友達に、「もひとりの友達」の箱のことを話す。箱はこうしてあっちにもこっちにも増えていく。全世界の現状と「飢える子」の存在の知識もまた、深く広く大きく、子供たちの間に育っていく。しかも、小遣いの一部を出したりして、自分もちょっぴり「痛い目に遭う」ことで他人の痛みを現実に理解する。
日本の十分の一の人口のオランダの、しかも幼い子らとその母親の間だけで、ある1年間に箱に入れられたお金の総計は、日本円にして1億に近い額であった。(犬養道子著「人間の大地」より)
さて、私は今、皆さんにこの運動を勧めるために、この話を紹介したわけではありません。この箱を、最初に食卓に作って置いた若い母親、つまりリーダーが、ベネルクスの物静かな小さな町で、平凡な日常を生きながら、世界と身近な日常生活を結びつけていたということ。彼女の遠く広い視野と眼差しから、「もひとりの友達」という「箱」が生まれたということを言いたかったのです。氾濫する情報に踊らされることなく、自分の目で見、耳で聞き、判断する力を磨いてください。
皆さんは、一人一人が豊かな個性をもち、住みよい社会を構築するリーダーになる素質を秘めていると思います。どのように生きたら、本当に歓びに満ちた現在を生きることができるか、と同時に、他の人やあらゆるものたちと、歓びを共にして生きることができるか。その答えを探し、実現するための手段や方法が、学問であり勉強であると思います。是非、理想を求め、他の人の痛みを感じつつ、武南高等学校の生徒として、精一杯高校生活を謳歌してください。
そして、身近な人を大切にすることや隣にいる友の痛みを察して行動に表すことと、広く世界の平和のあり方を考えること、これらのことを1つの視線で結ぶことができるようになってほしいと心から念願しています。