8月という月は |
2009.08.21 |
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8月という月は、
いかに平和を守るか、
生命の尊さを考える時…
登校日、
この日の校長先生の講話は、
元教員、峯島明さんの書かれた
PHP「第32回PHP賞受賞作」19年1月号からの引用で始まりました。
もう70年近く前のことだが、私は小学校3年生のときM先生と出逢った。
先生は私たちの学級担任で、お歳は30くらい。
うわさでは柔道3段と聞いていた。
明朗闊達で、こよなく子供を愛されたから、みんなM先生が大好きだった。
私は内気で、勉強もあまりできなかったから、先生とは容易になじめずにいた。
さらに冬にはいやなことがあって、学校に行くのも気が重かった。
冬に起きたいやなこととは、「えりまき」が原因である。
実は私は両親と小さいころ死に別れ、当時、祖父母の下で世話になっていた。
家は貧しく、冬になると他の子たちは温かなとっりくセーターなどを着込んできたが、
私は安手の袷の着物という格好で、虚弱の身には北国の冬は耐えがたかった。
そこで、私は押入れから古い大きなえりまきを見つけ出し、
首に巻いて学校に行くようになったのだが、たちまち狸というあだ名がつけられた。
みんなからからかわれたのだ。
それでも私はこのえりまきを離さなかった。
亡き母の形見であり、なにか母のぬくもりのようなものが感じられてならなかったからである。
しかし、正直に言えば、みんながうらやましくて、独り寂しい思いをする日もあった。
そんなある日、授業が終わると、
先生が急に町役場に用があると言って、
途中までみんなと一緒に帰ることになった。
先生はみんなが待っている所に駆け寄ると、突然
「おお寒い!」
とおおげさに体を震わせ、隅の方にいる私に声をかけてこられた。
「明よ、おまえのえりまきは温かそうだな。先生にちょっと貸せや」
私は驚いてえりまきを押さえたが、先生はむりやり取り上げると、
くるくると自分の首に巻きつけ、気持ちよさそうに言った。
「ああ、このえりまきは温かいなあ。先生もこんなのが欲しいよーん」
みんなはどっと笑った。
古ぼけた茶色のえりまきである。
私はもう恥ずかしくて、顔が真っ赤になってしまった。
先生はそんな私におかまいなく、
「出発進行!」
と声を張り上げてその場を笑わせると、
すぐにみんなと連れ立って歩き出してしまった。
私は突然の出来事に呆然としていたが、
仲間外れにされてはと慌ててその後に付いた。
みんなは先生を囲んで楽しそうだった。
やがて一人二人と家の近くで別れて、
町役場への曲がり角にきたときには、先生と私だけになっていた。
先生はそこで立ち止まると、私のえりまきを大切そうに首から外した。
「明、ありがとう。このすてきなえりまきは、とっても温かかったよ」
そう言い、えりまきを優しく私の首に巻いてくださったとき、
私は子供心に、はじめて今日の先生の気持ちがわかったのである。
先生は私の古いえりまきのことは知っておられたのだろう。
両親のいない私が、ときおり独り寂しそうにしているのを見て、
なんとか慰め、励まそうとしてくださったに違いなかった。
私は思わず涙が出そうになり、
なにも言えなくなって、
ただうつむいたまま先生の手をじっと握りしめた。
先生の手は大きく温かかった。
先生は私をぐっと抱き寄せると、
「がんばるんだぞ」
と言い、にっこり笑って町役場のほうへと向かわれた。
だんだんと小さくなっていく先生の後ろ姿が視界から消えようとしたとき、私は思わず叫んだ。
「せんせ〜い!ありがとう。先生、これからぼくはがんばるよ〜」
翌日から私は変わった。
先生が自分を見ている、
先生の期待に応えなくてはならないという気持ちが私の心を駆り立てた。
自然と行動も積極的になり、そのたびに先生が大きくうなずいてくれるのが嬉しかった。
私は日々、生きがいさえ感じるようになった。
ところが、5年生の終わりごろ、私たちにとっては思いがけないことが起こった。
田舎で酪農を営まれていたM先生のご老父が死去され、
その跡をつぐために、やむなくM先生はこの年限りで退職されることになったのである。
最後の日、先生は沈痛な面持ちで、
「教師を続けたかったのだが・・・。みんなに申し訳ない」
と1人ひとりの手を握られ、私たちは先生にすがりついて泣いた。
それから後、
私はM先生のことが忘れられず、たびたび手紙を出したが、
必ず親身な励ましや慰めのご返信があり、私はそのたびに嬉しくて涙があふれた。
M先生との文通は2年ほど続いたが、
「先生は国のために出征する。明もしっかりがんばって」
とのお葉書をいただいたのが最後となった。
先生は南方戦線で戦死されたのである。
私はとうとう先生にご恩返しができなかった。
せめて先生のご遺志を継ぎたいものと、
その後苦学して教職の道に進み、
定年退職後の今もなお地域青少年の健全育成に携わっている。
省みれば、M先生には及びもつかないが、
M先生は今でも私の心の中で生きている。
話を終えると校長先生は、
今から64年前、終戦を迎えたのは、この8月。
8月という月は、
いかに平和を守るか、生命の尊さを考える時ではないのだろうか…
と生徒たちに諭されました。
平和のありがたさを考えさせられる講和でした。