校長室便り

平成19年度 10月 朝礼

2007.10.01

『疾風に勁草を知る』

みなさんおはようございます。だいぶ涼しくなりました。

いつも静かに聞いてくれてありがとうございます。静かに聞くだけでなく、それに加えて話の内容を行動に表してほしいといつも願っています。

 

さて今日は、私からみなさんに次の言葉を贈りたいと考えてきました。それは「疾風に勁草を知る」という言葉です。「疾風」とは速く激しく吹く風、「勁草」とは強い草の意味です。直訳すると、速く激しい風が吹いた時に初めてどの草が強いかを見分けることができる、ということですが、その意味は、困難に遭遇したときに初めてその人の意志の強さや人間としての真価がわかるということです。

例えば武南の生活の中では、勉強を始め部活動、行事に至るまで多様な活躍の場が与えられています。そして武南生は様々な時間的、物質的な制約の中で常に”今自分が出来る最高のもの”をそれぞれに追求しています。その過程は決して楽しいことばかりではありません。友人との意見の食い違いやその他の困難を、避けて通ることはできないでしょう。しかし、このような苦しい経験こそが、強いだけでなくしなやかな勁草のような自己を形成するために大切であると私は思っています。

 

先輩方や友人から困難に立ち向かう姿勢を学ぶ。武南の生活の中で自ら疾風の中に身を投じて苦悶する。そして、それぞれが困難の先にある心の強さを得る。理想的な武南性の姿をそこに見出していきたい。そしてそれが武南の新たな伝統として息づいてほしい。そのような生き方こそ、今の日本の厳しい政治、経済、社会状況の中で、また多種多様な価値観があふれる現代に於いてとても重要なのだと思います。

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平成19年度 2学期始業式

2007.09.01

『授業で勝負』

 

2学期は1年間の中で期間がもっとも長く、9月の文化祭、体育祭、11月の2学年修学旅行など学校行事も多く実施されます。

また部活動では、運動部は新人大会、秋季大会、冬の選手権、文化部でもコンクールなど公式の大会が目白押しです。更に、進路関係では、三年生の大学等の推薦受験、AO入試、一、二年生については将来の希望実現のための準備や勉強等、最も重要な時期であるといえます。

 

この時期は何事にも全力でぶつかり、自分のよい点を更に発揮する努力をしてほしい。そのことが必ず、自らの希望する進路を実現する力となります。まだ具体的な進路が決まっていない人については、この時期に基礎固めの勉強をしっかりやることが、進路を選択するときの幅が広がり、後になって効き目が表れてきます。

 

今までにもアピールしたとおり、本校が発展するために最も重要なのは、毎日の授業を大切にすると言うことにつきます。そして、教職員、生徒の一人ひとりが本気になって努力するということです。進路にせよ、試合にせよ勝利を手にするには、目の前のやるべきことをきちんとしっかりやること。それができなければ負けるのです。誰だって、はじめから負けるつもりでやりはしない。しかし、結果として負けることが誰にもあります。でも、負けることや失敗を恐れることはありません。すべてを尽くして失敗した、その失敗の数ほど人は強くなれるのです。 

何よりも大切なことは結果に至る過程で自分を向上させたかどうかです。授業も部活動も同じ。目の前のことに全力を集中させ、自分を向上させるかどうかです。それができているかどうか、私は授業を見ているのです。「しっかりできている。または、毎時間挑戦している。」そういう意気込みを見せてほしいのです。先生・生徒ともに勉強し、お互いの努力で、能力を伸ばす授業を創造していってほしいと願っています。

 

今学期、授業の様子をみなさんの保護者の方々に見ていただこうと考えています。そして、その感想をいただき、改善の努力をしていきたいと考えています。是非、真剣な取り組みを見せていただきたい。明日から始まる授業の1時間1時間に集中することが人に見られてもびくともしない授業の自信につながるのです。

そして、その次には、みなさんの後輩である中学生にも授業や部活動の公開をしたいと考えています。授業や部活動を見た中学生が「やっぱり武南に入学したい。」と評判になるような授業を是非創っていきましょう。一人ひとりの生徒諸君そして先生方に心から期待しています。

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平成19年度 全校登校日

2007.08.21

『祈りの手』 

 

私の生まれた一年前1945年8月、広島、長崎と続けて原爆が投下され、世界で数千万人もの犠牲者を出した第2次世界大戦が終わりました。その時から、日本国民は永久の平和を世界に宣言し、自ら実践することを誓いました。夏休みのある8月という月は、いかに平和を守るべきかという人類の大きなテーマと、私たち一人ひとりのかけがいのない命の尊さを真剣に考えるべきとても重要な月であると思います。ぜひ考えてください。

私は今の人間社会で心配なことがあります。目の前のこととか自分に直接利害が関係することには素早く反応するけれど、自分以外の人の痛みを無視したり、軽く見たりする人が多くなっていないかということです。

 

そこで、今日は友情についてある人物の話を聞いてほしいと思います。

アルブレヒト・デューラーという人をご存じでしょうか。ルネッサンス時代の優れた画家ですが、作品の中に「祈りの手」という有名な版画の作品があります。

今から、約500年前のことです。ドイツのニュールンベルグの町にデューラーとハンスという若者がいました。2人は版画を彫る親方の元で見習いとして修行していましたが、毎日忙しいだけで勉強ができませんでした。思いきってそこをやめて絵の勉強に専念したいと思いましたが、2人の家は貧しく働かずに勉強できる余裕はありませんでした。2人は思案に暮れていましたが、ある時ハンスがデューラーに1つの提案をしました。「2人が一緒に勉強はできないので、1人ずつ交代で勉強しよう。1人が働いてもう1人のためにお金を稼いで助けよう。そして相手の勉強が終わったら今度は自分が勉強し、相手の方は働いてそれを助けるのだ。」どちらが先に勉強するのか、2人は譲り合いました。「デューラー、君が先に勉強してほしい。君の方が僕よりちょっぴり絵がうまいから、きっと早く勉強が済むから。」ハンスの言葉に感謝してデューラーはイタリアのベネチアへ絵の勉強に行きました。ハンスはお金がたくさん稼げる鉄工所に勤めることになりました。

 

デューラーは先生について一生懸命勉強しました。「1日でも早く勉強を終えてハンスと代わりたい。」とハンスのことを思い寝る時間も惜しんで絵の勉強をしました。一方残ったハンスはデューラーのために早朝から深夜まで思いハンマーを振り上げ、今にも倒れそうになるまで働きお金を送りました。1年、2年と年月は過ぎていきましたがデューラーの勉強は終わりません。勉強すればするほど深く勉強したくなるからです。ハンスは「自分がよいと思うまでしっかり勉強するように」との手紙をつけてデューラーにお金を送り続けました。数年後ようやくデューラーはベネチアでも高い評判を受ける画家になり、勉強は終わりました。「よし今度はハンスの番だ。代わってあげよう。」と急いでデューラーはニュールンベルクの町へ帰りました。2人は再会を手を取り合って喜びました。

 

ところがデューラーはハンスの手を握りしめたまま男泣きに声を上げて泣き出したのです。なんとハンスの両手は長い間の力仕事でごつごつになり、絵筆はもてない手に変わってしまっていたのでした。「僕のためにこんな手になってしまって」と言ってデューラーはただ頭を垂れるばかりでした。しかしハンスは「心配するな。こんな手ではもう絵筆は持てないが、ハンマーを持たせたら天下一品なんだぞ」と言ってデューラーを慰めました。「有り難うハンス。許してくれ」と謝ったデューラーは自分を犠牲にしても画家にしてくれたハンスのごつごつした手を心を込めて描き上げました。デューラーが立派な画家になるようにと祈りを込めて働いたハンスの手を描いたことから「祈りの手」と呼ばれています。

是非一度じっくりと鑑賞してください。

苦しい体験を超えて獲得した価値観は、自分の生き方を満足させる原動力になる。ということを感じました。そして、身近な人を大切にすることや隣にいる友の痛みを察して行動に表すことと、広く世界の平和のあり方を考えること、これらのことを1つの視線で結ぶことができるようになってほしいと心から念願します。

 

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『部活動観戦を振り返って』

2007.05.30

はじめに、部活動とは何かということについて私の考え方を述べてみます。

私は部活動(剣道部)には相当な思い入れをもって指導してきた体験があります。部活動の指導は専門の数学の指導とはひと味もふた味も違った思いで教師としての青春をぶつけていました。味は違いますが、数学も部活動も担任も学校行事も何でも全力を尽くしました。教師の唯一生きる道は一生懸命背伸びしてぶつかること、意識したわけでなく動物的な感覚でやっていたというのが本音でした。

部活動は自分の意志で選択した活動集団です。どのような苦労があろうともいとわないという精神が自ずと生じる集団です。そこには苦しみもがき語り合った仲間だけが獲得できる昇華された世界があります。試合やコンクールに勝利を目指して臨む。勝利が全てであり最後の勝者たらんと全身全霊を懸けて勝負する。しかし、最後の瞬間だけはたった一人が勝者となり、それを除く全ての人が敗者となる。それが試合でありコンクールである。それが勝負であると私は思います。しかし、部活動の大切さはその先にあります。私たちはそこから私たちの努力を見つめる。今までの道のりを身体は覚えている。どんな険しい道だったか、その道をどう歩いたか身体と脳はしっかりと記憶している。気が付くと、目の前にある新しい道を切り拓こうとする力、次の壁を乗り越えようとする力を身に付けていることがわかるのです。部活動とはそういうものなのです。

 

 一年目は野球とサッカーの公式戦を観戦しました。試合では選手の一挙手一投足にハッとさせられ、体中の熱が上下します。サッカーの埼玉栄戦で展開された美しい武南のフォーメーションは見事であり、サブ、サポート、応援のすべてがティームとして一体になり輝いていました。日々の血のにじむような練習・・・それが今見る人すべてにシャワーから降り注がれるような感動を与えたのです。

 私もインターハイに監督として出場したことが何回かありますが、代表を懸けた試合は寧ろ見る方がつらいのではないかと思います。武南の試合も勝ち進む毎にその当時の思いが蘇ってきました。でも生徒たちの笑顔、声、必死の形相を見る度に、私も生徒のために「よし、やってやるぞ」という勇気が湧いてくるのです。   ありがとう!

 

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平成19年度 1学期 始業式

2007.04.09

Never never never Give Up!

Day by day in every way I'm getting better and better !

「毎日、毎日、あらゆる面で、僕はどんどん良くなっているんです。」

 

これは、オグ・マンディーノという作家の著した「十二番目の天使」という小説の中で、エンゼルスという少年野球チームの監督だったジョンに、少年ティモシーが残した言葉である。

監督を引き受ける前まで、ジョンはコンピュータの会社を経営し、上り坂の絶頂にあったのだが、ある日突然、自動車事故で最愛の妻と子を亡くしてしまった。絶望の淵にあった彼は、何度か自殺を図ろうとしていた。大学時代有望な野球選手であったジョンに、親友のビルが地元の少年野球チームの監督を引き受けるよう誘ってきた。熱心な誘いに、ジョンは重い心を引きずりながら引き受けたのだった。

 4チームに12人ずつの子供が別れ一年間のシーズンが始まる。

登録した子供は48人で、全員がグラウンドでバッティングや守備のトライアルを行い評価される。少年ティモシーは、その中で一番小さくて、ひ弱で、へたくそだった。そしてその後の選抜会議で4人の監督が48人の子供を順番に選んでゆく。ジョンは最終回の選抜の4番目つまり最後の1人を選ぶことになった。

その最後の十二番目の天使が、ティモシーだった。

 

そのリトルリーグの規定では、登録された12名の全員を必ず毎試合一度は出場させなければならなかった。いつもエラー、そして三振のティモシーは、チームのメンバーからもお荷物扱いだった。でも、ティモシーは必死になって練習し、毎試合必ず出てきて、どんなときにも精一杯のことをしようとしてきた。同情を買おうとする素振りも見せない。うまくできなくても決して落ち込んだりしない。そればかりか、チームメイトの全員に誰よりも大きな声援を送っている。 

ティモシーのエラーで負けた試合の後、空っぽになった球場で芝生の上で座って頭を垂れていた。

ジョンはそっと声をかけた。「ここにいれば、何であんなエラーをしちゃったのかわかるかもしれない」と言うティモシーに、ジョンは「グローブを見せてみな」と言う。その代物はジョンが今までに見た、もっともズタズタのもっとも使えそうにないグローブだった。数日後、ジョンの亡くなった息子の新品同様のグローブを手にして、目をきらきらさせてジョンとキャッチボールをするティモシーの姿が球場にあった。 その日もティモシーは仲間たちに休みなく声援を送り続けていた。彼はまだ一本のヒットも打っていないただ一人の天使になっていた。彼はその日も一度だけの打席で、またもや空振りの三振だった。しかし彼はあらゆる投球に必死で食らいつこうとしていた。何度空振りしても絶対にあきらめるそぶりを見せないのだ。

 

その日の帰り道、ジョンが車を運転していると、暗くなった歩道を小さな人影が歩いていた。ティモシーだった。ぼろぼろになった自転車のチェーンが壊れ、歩いて帰る途中だった。乗せて家まで送る。町のはずれにある掘っ建て小屋のような家に母と二人で住んでいた。あまりのみすぼらしい建物に、ジョンは言葉が出なかった。ティモシーの母親は、涙を流し感謝する。そしてジョンに言う。

 「この子にとって何よりもラッキーなことは、あなたがこの子の人生の中の、今のこの時期に、現れてくれたことです。本当にありがとうございました。」

ティモシーは時々足下がふらついたり、走っているときにつらそうにしているときがあった。ティモシーは何でもないと言っていた。

ティモシーにはかかりつけの先生がいた。 ある日、ジョンはその医師から、ティモシーは髄芽腫と言う脳腫瘍に罹っていることを聞く。そして本人もそれを知っているが、そのことを誰にも知られたくない。それは特別扱いされたくない。ほかの11人と同じように扱われたい。ということだった。ティモシーはいつでも必死でプレイし続けた。もっとうまくなろうとしていつも精一杯努力していた。

それに、いつもチームメイトたちを必死に応援していた。

Never never never give up" 

そして、エンゼルスは優勝決定戦で勝ち見事優勝する。ティモシーも初めて母親が観戦する中で初ヒットを打つ。相手の速球投手からなんと同点のタイムリーを打ち、勝ち越しのホームを踏んだ。そして、優勝投手をチームメイトがかつぎ上げ、優勝のダイヤモンドを行進し始めた。行進が3塁ベースまでさしかかったとき、突然、もう1人の天使がかつぎ上げられた。ティモシーだった。その小さな天使は、両手の拳を夢中になって高く高く差し上げていた。 

 

一生懸命勉強するということは、自分の人生の中で、本当に良かった人と出会えることやすばらしい感動を獲得するためなのだと言えるのではないかと思います。

そのために、今日はティモシーが残したこの2つの言葉を贈りたいと思います。

 

Day by day in every way I'm getting better and better !” 

Never never never give up

 

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