校長室便り

平成20年度 3学期終業式

2009.03.23

「今、君たちのすべきこと」

昨今、経済情勢は大変厳しく、派遣社員の予告なし解雇は当たり前のように行われています。そして正社員ですら、突然の解雇にこれからの生活の見通しが立たなくなるケースが増加しています。

先日、NHKテレビで、アメリカ・オバマ大統領のグリーンニューディール政策の挑戦は不況を克服するか、という報道特集が取り上げられていました。

アメリカでは、エネルギー資源の約30%を、不安定な中東諸国から輸入している現状があります。そこで、風力発電を大幅に拡大するという事業により、雇用創出、環境改善、エネルギー確保と一石三鳥を狙うという思い切った政策です。現在、日本でも一部で、わずかながら風力発電による電力補給を行っていますが、これを大幅に増やすことは、国民の負担が増えるという理由で、政府は積極的でありません。このように、環境に良いことと思っても、国の政策により必ずしも実施されるわけではありません。

 

このような状況の中で、今、高校生である君たちは何をすべきなのか、真剣に考え、行動しなければなりません。無駄遣いをしないことや家計を助ける努力は大切なことだと思います。しかし、併せて大切なことがあると思います。皆さんは何だと思いますか。まず、人生の生き方、人生の目標を高校時代につくることです。さらに、年に一度、例えばこの春休み中に、自分の生き方を点検することです。

そして、日本の現状について理解することです。政治の混迷、経済の後退、学力の低下などその内容を分析することが大切です。

さらに、日本の良さを見直すことも重要です。日本は1400年の歴史と文化があり、今まで異民族に支配されたことはありません。財政は厳しいとはいえ、まだまだ経済大国といえます。日本独自の文化、そして生産される自動車、電気、機会等の品質は世界最高峰であると言って過言ではありません。さらに、日本語は微妙な意味の違いを幾通りに表現できる、豊かな感性を備えた言語であるといえると思います。その日本語を駆使し操ることができることは、豊かな人間性を自ずと育める言語環境にあるといえます。日本語の達人になりましょう。

 

最後に、武南生に期待します。

(1)希望をもっと高く設定せよ 進路も部活動もより高い目標をめざせ

(2)勉強に対する姿勢をもっと厳しくせよ 中途半端に妥協するな

(3)時間の使い方を更に効率的にせよ

(4)自分のために生きるということから脱却してほしい

   君たちには人(人類・地球)のために生きるという生き方を見出してほしい

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平成20年度 3学期始業式

2009.01.08

新年、おめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

今年は丑年です。高村光太郎はその作品「牛」で、

『牛はのろのろと歩く 牛は大地をふみしめて歩く』のように、どんなときでも、いつでも前を向いて、決して器用ではないが、じっくりと力強く歩く姿を表しています。

しかし、それだけではありません。『最善最美を直覚する 未来を明らかに予感する 見よ 牛の眼は叡智にかがやく その眼は自然の形と魂とを一緒に見ぬく』とあり、その隠された優れた能力を讃えています。さて、今日はその隠された能力、というより「脳を活かし隠された能力を開発する」ということについて触れてみたいと思います。冬休みに、茂木健一郎という人が書いた「脳を活かす勉強法」という本を読みました。

 

最近、私は脳が衰えて来たのか物忘れをすることが増えてきました。そこで、少しでも自分の脳を修復できるものならという思いもあって、この本を手にしました。案の定、読み始めて10分くらい経つと眠くなり始めました。その時、本の内容は、次のようなことが書いてあるところでした。『ここで一つ注意しなければならないのは「できることを続けても脳は喜ばない』ということです。ドーパミンは、出来るとわかっていることを成し遂げても放出されません。出来るかどうかわからないことに、一生懸命にぶつかり、苦労の末それを達成したときに大量に分泌されます。「私ってこんなことも出来たの」と意外性が強ければ強いほど、喜びが大きくなる仕組みなのです。』そして、彼は高校時代の英語の勉強法について、『たとえば、僕は「赤毛のアン」が好きだったので、シリーズ全てを原書で読みました。それまで本格的に英語の本を読んだことがなかったのですが、無謀にも辞書さえ引かずに読み始めたのです。今でもその時の感覚を覚えています。最初のうちは読んでいても苦しくて仕方がありませんでした。でも、それを我慢して何冊か読み続けていくうちに、ある瞬間に突然フッと楽になりすらすらと英語が読めるようになっていたのです。』 

その本の内容と比較になりませんが、私も、30ページほどで朦朧となり始めていたのですが、我慢して読み続けました。そしてしばらくすると、眠けが去って行き2時間ほどで読み終わることが出来ました。一気に読み、やった!という気分を味わいました。

 

実は、勉強も部活動も同じだと思います。出来るかどうかわからないことに、一生懸命ぶつかり、苦しみ、汗を流し、時には涙を流す。そういう苦労の末、達成したとき、ドーパミンが大量に分泌され、脳は喜び快感を得る。その快感は苦労して達成したという行動と結び付いて記憶される。そして脳は再び快感を得ようと、同じ行動をとりたくなる。再び、次のチャレンジする行動を起こし苦労して達成した時、その喜びは更に脳を強化し、隠された能力が発揮されることに繋がるということになるのだと思います。彼は言っています。「人間の本当の魅力は、内面的な輝きによってもたらされるものだと思っています。」もちろん私もそう思います。そして、内面的な輝きをもたらすもの、それは、くるしさを経験することであり、困難な壁にチャレンジすることであり、それを乗り越えようとする今の、この今の瞬間の、努力する自分の姿に凝縮されるのだと思います。

 

この1年の一人ひとりの取り組みが「私ってこんなことができたんだ」と脳を喜ばせる行動になるよう、私も同様にチャレンジする一人として強くエールを送りたいと思います。

 

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平成20年度 2学期終業式

2008.12.22

夏目漱石の著作の中に「夢十夜」という短編小説があります。

その「第六夜」のあらすじはこのようなものです。

『運慶が、(東京文京区にある)護国寺の山門で仁王を刻んでいるという評判で行ってみた。大勢の見物人が集まって、あれこれと評価している。運慶は、うるさい見物客に委細頓着なく鑿と槌を動かし高いところに乗って堅い木を彫り抜いて行く。厚い木屑が槌の声に応じて飛んだと思ったら、小鼻の開いた怒り鼻の側面がたちまち浮き上がってきた。その刀の入れ方がいかにも無遠慮で、少しの疑念も差し挟んでいないように見えた。それを見てある男が、「なに、あれは眉や鼻を鑿で作るんじゃない。あのとおりの眉や鼻が木の中に埋まっているのを、鑿と槌の力で掘り出すまでだ。決して間違うはずはない。」と言った。そこで自分も仁王が彫ってみたくなって家へ帰って、裏の庭に積んであった薪にする樫の木に彫ってみた。ところが何本彫っても仁王の蔵してある木はなかった。ついに、明治の木にはとうてい仁王は埋まっていないものだと悟った。』

 

運慶は、日本史にも登場する平安末期から鎌倉時代の有名な彫刻師です。

明治時代の文豪漱石は、文明開化により外国の文化が垣根なく入ってきて、日本の文化や日本の精神がだんだんと衰退していくことを嘆いていました。漱石は、運慶で象徴される価値ある日本文化やその継承者が存在し続けてほしかった。本来なら、運慶の次の世代の名人が輩出され、いよいよ文化を深め、時代を次々支えてくるはずだったが、そうならなかったため運慶(の精神が)がこの時代に至るまで生き残らざるをえなかった。それが、夢となって明治の世に現れたのです。

さて、私は、純粋に運慶と言う達人のすごさを感じました。と同時に、真理というものは求めるというより、どこかに蔵されていて、必死に努力を続ける人により掘り出されるようなものなのかと思いました。

今年も、残り十日となりました。この冬休み、目の前にある多くの堅い木の中から、つまり具体的に言えば、受験勉強や部活動などの中から、隠された真理を掘り出すため、自分のエネルギーのすべてを投入してほしい。

 

三年生の受験生諸君、最後の一時間、一分、一秒まで努力を!十回で覚えられなければ百回やって覚える!その努力が人生を切り開く原動力になるのです。

三年生で推薦により進路が決定している諸君、合格通知が来たから、あとは適当に生活してもいいのではないか、という人はいないだろうか。推薦決定後は特別な意識を持って、残った高校生活を模範的な態度や姿勢で過ごすことが条件となります。それができない場合は、推薦条件に満たさない人物であると判明する事実が生じたので推薦を撤回する場合もあると考えてください。

二年生、一年生、三学期は本当にグレイドアップできるかどうかという重要な時です。二年生は武南高校を引っ張る存在となるのです。勉強においても部活動においても、意識と実行がぴったりと一致すること、そのように生きてください。

一年生は、新入生が入学してきた時、先輩としての存在価値を示せるよう、自分の良いところを更に伸ばす努力をしてください。

新しい年は、君たちの手で、自分の周りにある蔵された真理を掘り出すための努力の年となることを心から期待しています。

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平成20年度 2学期朝礼

2008.10.01

文化祭・体育祭が終わり、3年生にとっては後6ヶ月、武南生としての生活を残すところとなりました。部活動においては3年生としてもこれからが本番という試合が控えている部もあります。今まで歩んできた集大成として十分な気合いを持って勝利を獲得してほしいと思います。一方、参加する大会が全て終わった部活の部員は、部活動で培った集中力を勉強に発揮してほしい。すでに進路が決定した人も、油断することなく、有終の美を飾るべく、日々精進してほしい。そして、受験に向かって努力している生徒諸君、この時期、進路が決まった人を横目に見ながらの勉強は、焦るなと言っても無理であろう。勿論合格を目指し勉強するのですが、大切なことは、今現在この瞬間に学習していることが試験問題そのものであると言う意識で集中することです。それを続ける意志と行動が最も必要不可欠であると思います。

1・2年生の諸君、受験で勝利するにはスタートが速ければ速いほど有利であるとだけ言っておきます。そして、大切なことは今3年生に言ったことと同じです。

 

さて、今日は私と同年代の、ある人についての話をしたいと思います。

   岡山県での話です。一人の母親が、小学校五年の少年と、その弟を自転車の前と後 ろに乗せて、山腹の沼畔までやってきた。この母親、夫亡き後残された二人の子のた めに、女手一つで必死に働いてきたが、ついに生活苦に耐えかねて子供と一緒に心中 することを決意したのであった。せめて死ぬ前においしいものを食べさせてやろうと、 買ったアンパンを一個ずつ与えた。だが、兄弟はそれを口にしようとはしなかった。 山道をくたくたになりながら、自転車をこいできた母親に、お兄ちゃんの方がこう言 った。「母ちゃんおなか空いただろう。オレ、おなか空いてないから、これ食べなよ」。

 それを見て、小さな弟も「母ちゃん、オレのもあげるよ」。それぞれが小さな手に握 っていたアンパンを、母親の前に差し出した。母親は、溢れる涙を拭おうともせず、 二人の子をぎゅっと抱きしめながら、こんな気持ちの優しい子らを、死なすわけには いかない」。こうして自殺を思いとどまったという。  この少年(兄)は「俺は神宮に咲くかすみ草」の名言を残して、昭和58年に引退 した元ヤクルト4番打者、大杉勝男の幼き日の姿である。彼は昭和53年には日本シリーズを制覇しそのMVPに輝いたが、その14年後に他界した。まだ47歳だった。どうしてこの家庭に、こんなにも優しい心を持った子供が育ったのであろうか。優しさについて、朝から晩まで母親が言葉で説いて聞かせてやったからであろうか。そうではない。自分たちのために、朝早くから夜遅くまで真っ黒になって働いてくれている、この母親の真剣な生き様が、そして折々に滲み出る母親の慈しみ、ぬくもりが幼い子供の心に感謝の心をいつしか植え付けていったのではないか。

 (藤井均氏「埼玉新聞」(コラム欄)より抜粋)

皆さんは、時代が違う今と比較することはできないかもしれないけれど、この話を聞いてどう感じられたでしょうか。

 

学校では、授業で勉強し、体育や部活動で汗を流します。

私は、勉強もスポーツも、大学に合格するためや試合に勝つためだけにやるのではないと考えています。実は、人としてどう生きるかという問いに答えるため、そして、人として生きるとはどういうことなのかを考えるために、勉強に苦しみスポーツで汗を流すのではないかと。今日の話がそんなことを考えるきっかけになればいいなと願っています。

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平成20年度 2学期始業式

2008.09.01

2学期は1年間の中で期間がもっとも長く、9月の文化祭、体育祭、11月の2学年修学旅行など学校行事も多く実施されます。

また部活動では、運動部は新人大会、秋季大会、冬の選手権、文化部でもコンクールなど公式の大会が目白押しです。更に、進路関係では、三年生の大学等の推薦受験、AO入試、一、二年生については将来の希望実現のための準備や勉強等、最も重要な時期であるといえます。

 

8月26日、「ペシャワール会」の伊藤和也さん(31)が拉致され、遺体で発見された事件はたいへん残念なニュースでした。ペシャワール会とは中村哲という医師を代表とするNGOです。彼は九州大学医学部卒業後、国内の診療所勤務を経て、パキスタンのペシャワールで貧困層の診療に当たり、その後、戦火の中、死と隣り合わせでアフガンに三つの診療所を設立、更に、大干魃に見舞われた荒れ果てた地に灌漑水路を建設する総指揮官でもあります。中村氏は、伊藤さんについて「砂漠化する農地をなんとかしようと最前線で働いていた。他の人が狙われても彼だけは大丈夫というほど現地になじみ、人々に好かれていた。大勢の村人が捜索に加わり、みんな悲しんでいる」と話していました。

アフガンで長年活動を続けてきた同会も、治安悪化を受けて、約20人いたジャララバードの日本人スタッフの半数を4月に帰国させ、残りも年内に出国させることになっていました。「用水路の事業があり、何とか突貫工事でやり遂げようとしていた」のだそうです。「以前は日本人なら大丈夫だったが、4月ごろから対日感情も急速に悪化していた。伊藤くんをとどめた私が悪い」と中村氏は悔やんでいました。

しかし、伊藤さんの遺志を継ぐためにも、現地の人たちで事業は継続するそうです。「ソ連が来た時も、米軍の空爆時も活動を続けた。治安の悪化は武力では解決しない。空腹を満たす環境をつくることが大切だ」と持論を述べ、「アフガンのために働いたのにアフガン人に殺されたと断罪しないで欲しい。ほとんどの人は我々の事業に感謝している」と訴えました。(新聞・ニュースより)

この報道を通して、私は悔しさ、そして怒りがこみ上げてきましたが、その直後、何ともしがたい無力感に襲われました。はたして正義を貫いた日本の青年の死は何だったのかと。でも、私はまだまだ浅はかであると思い知らされました。それは中村哲氏が、日本の若者たちへ贈ったメッセージに再び目を通したときでした。

「経済不況を回復すれば幸せが訪れると信ずるのは愚かである。人の幸せは別の次元にある。人間にとって本当に必要なものは、そう多くはない。何が真実で何が不要なのか、何が人として最低限共有できるものなのか、眼を凝らして見つめ、健全な感性と自然との関係を回復することである。」

君達は今回の事件を通して何を感じたでしょうか。是非、考えてほしいと思います。

 

最後に、君達が、部活動にせよ、勉強にせよ何かの目的を達成しようと、苦しみながらも力を振り絞って生きているとき、強いオーラが放たれ、私は感動を覚えます。

何よりも大切なことは結果に至る過程で自分を向上させたかどうかです。授業も部活動も同じ。目の前のことに全力を集中させ、自分を向上させるかどうかです。すべてを尽くして失敗した、その失敗の数ほど人は向上し強くなれるのです。

それができているかどうか、私は授業や部活動をするときの姿勢を見ているのです。「しっかりできている。」「毎時間挑戦している。」そういう意気込みを見せてほしいのです。先生・生徒ともに勉強し、お互いの努力で、能力を伸ばす学校を創造していってほしいと願っています。一人ひとりの生徒諸君そして先生方に心から期待しています。

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学校紹介