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学校法人 武南学園 武南高等学校

埼玉県記録 あと3センチは宿題です。 

陸上競技部 2019年11月09日

陸上競技3段跳びの埼玉県チャンピオン。2年連続インターハイに出場し、国民体育大会では5位、U-20でも5位入賞を果たした鴨下さん(両新田中出身)に、武南での3年間を振り返ってもらいました。

『私は負けず嫌いですから』という言いながら…終始、にこやかに語る ”青春武南時代” に、ぐいぐい、ひきこまれ、聞き入ってしまいました。

お姉さんも武南高校陸上部でキャプテンをしていましたが、入部当初はどんなでしたか?どうして3段跳をはじめたのですか?

「私は、中学の時、走り幅跳と100mハードルをやっていたのですが、県体に出場するものの…決勝までは残れるような選手ではありませんでした。武南で、全国大会に出場している先輩方と練習していくなかで、技術、スピードに磨きがかかり、幅跳が、5m19から5m.55に、100mハードルが 15.2から 14.7と、自分でも確かな成長を実感することができました。1年の後半の記録会に出場しようとした時、記録会に走り幅跳がなくって…笑、顧問の碓井先生と相談して、三段跳に出場したところ、自分の感覚で言うと、ポーンポーンポ~ンと、10m80飛べちゃったんです。笑 それで、本格的にやってみようと思いました。」

三段跳をはじめてからは、どんな感じだったんですか?

「2年になると、スゴイ後輩が入ってきて…笑、私の負けづ嫌いな性格を知っていらっしゃる碓井先生は、『 ”つまさき上げて接地する!” 後輩の○○はできてるぞ!』と…私のやる気を上手に高めてくれました。そのおかげで、関東大会予選で11m95、関東大会で11m79を跳び2位になりました。憧れていた強化指定選手にもなり、気合を入れて臨んだ、初めてのインターハイは…緊張して11m50…正直、不本意な結果に終わりました。」

インターハイ後はどんな練習をしたのですか?

「武南の練習は、月木はウェイトトレーニング、火水金は陸上競技場で、単助走や150m走をし、走力強化とフォーム固めをし、日曜日はお休みです。私は、”駆け上がり” という練習の最後の2歩を意識して取り組みました。全力で走った最後の2歩を意識するということです。その成果がでて、2年秋の新人戦では12m08を跳び全国ランキング8位になりました。大会が終わり、オフの時期も、タイムを意識して練習しました。なにげない練習の時、部活の仲間たちの声が私の背中を押してくれて…3年になって最初の大会で12m47。この時点で全国ランキング1位となりました。そして、関東大会に優勝し、臨んだ2回目のインターハイでしたが…、またしても、12m00…。埼玉新聞にも、12m57の埼玉記録を更新するのでは…と、取り上げて頂いていたのに…、期待に応えられず…また、悔しい思いをしました。その悔しさをバネに臨んだ、続く国民体育大会で12m54で5位、U-20の大会でも12m26で5位入賞を果たしましたが…あと3センチ!あと3センチ!埼玉記録の更新の夢は叶いませんでした。」

「あと3センチ!埼玉記録更新は、大学に行ってからの競技人生の宿題です。笑」

3年間で一番思い出に残っている試合は?の質問には迷うことなく

「国民体育大会です。試合会場で目にした景色に…よくここまで来れたな~という気持ちでいっぱいになりました。武南で三段跳びに出会って…、頼もしい顧問の先生方と、素晴らしい仲間と、全国どこにでも応援にきてくれた家族がいて…色々なことを思い出して、感謝の気持ちでいっぱいになりました。」

実は、鴨下さん、全国大会で競い合ったライバル達と遊びに行くほど仲良しで、大会の時だって、ライバルがファールするのを願うなんてことなどなかったと言います。むしろ、逆に、ライバルが良いパフォーマンスをした時には、”私も…” と負けず嫌いのスイッチが入ったそうです。最後に将来の夢を尋ねると…

「埼玉記録の更新!3段跳びの指導者か学校の先生になって、競技のおもしろさを伝えたいです。」

話を聞いていて、とても清々しい気持ちになれたのは、陸上競技を通じて、鴨下さん自身が成長していった事実が言葉に重みと深みを与えていたからですね。そして、”ここから先の世界も見てみたい!” そういう意欲も感じとることができたからなんだと思います。

これぞ武南高校陸上競技部! そう胸を張りたくなりました。