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学校法人 武南学園 武南高等学校

『わたしを離さないで』橋本先生のオススメ

2020/05/03

 毎年、12月になると、本好きの人間達はノーベル文学賞の話題で喧しい。特に平成29年は、日本生まれのカズオ・イシグロの受賞とあって、いつになくメディアの取り上げ方も積極的だ。「カズオ・イシグロの力強い感情の小説は、私たちが世界と繋がっているという幻想に隠されている闇を明らかにした」という評価は言い得ていよう。いずれも読みごたえのある名作だが、中でも『わたしを離さないで』を読んだ時の衝撃は「感動」を超えたものだった。

 『わたしを離さないで』(カズオ・イシグロ)

舞台は1990年代の農園。施設で生まれ育ったキャシーは、優秀な「介護人」として「提供者」の世話をしている。小説はこのキャシーが幼少時代からの過去を回数する一人語りによって展開していくのだが、読者は小説のかなり早い段階から、彼女が語っているのは一体どんな世界のことなのか、何とも言えない違和感と疑問を持ち、それが解消されないまま読み進めていくことになる。なぜなら我々読者には語り手のキャシーを通してしか情報が与えられないし、彼女はこちらが当然知りたいと思うような肝心なことをなかなか語ってはくれない。実は彼女が友人たちとともに育った「ヘールシャム」と呼ばれる場所は、単なる寄宿学校などではなく、「臓器移植」のために作られたクローン人間である子どもたちが集められ、「臓器提供」という使命を立派に果たすことができるような人間になるべく育てられている場所なのだ。

なんだか種明かしをしてしまったようだが、この小説はミステリーではないので面白さを損ねることにはならないだろう。結果として物語の構成がミステリー仕立てになっているのは、主人公たちが悲しい運命を背負っているという絶望的な事実を、作中で彼らが知るのと同じタイミンングで読者も知るという意図ゆえである。カズオ・イシグロ自身、「私はそれほど意識的にそのことを考えませんでした。自分にとってはそれほど重要ではなかつたからです。これは慎重に隠さなければいけない決定的な情報がある殺人ミステリーではありません。本を出版して初めて、多くの読者がミステリアスだと思ったことに気づいたのです。特に書評家が書評を書くときに、どれだけ明かしたらいいのか悩んだことに気づいたのです。」と言っている。そして彼は、「サスペンス性がそれほど大切な問題になることがわかっていたら、もっと最初の方で事実の部分を明かしていたかもしれません」とまで語っている。(実際、映画化されたときは、映画の冒頭でクローン人間であるということがあらかじめ明らかにされている)つまり、クローン人間という特殊な事情そのものにポイントがあるわけではなく、「外界で起きる多くのことが理解できない」というすべての人間に共通するメタファーであり、その「子ども時代」の感覚を追体験して欲しいという意図だったのだ。

 イシグロは「人が人生の終わりに、近づくにつれて、記憶を自分のためにどう使うか」というテーマを初期の作品から追求してきた。キャシーは、読者に語りかけることで記憶を残そうとする。回想の中で、子供時代の思い出を何度となく友人たちと語りあい、正確な記憶を保存しょうとしている。ヘールシャム育ちの記憶は、「以前と少しも変わらず鮮明です。」「記憶を失うことは絶対にありません。」という必死にも聞こえる彼女の言葉が読者に複雑な思いを色濃く残すのである。