真に健全で個性豊かな人間教育の樹立

学校法人 武南学園 武南高等学校

全校登校日にて

2018年08月21日

8月21日の全校登校日、校長先生は、以下のように話されました。

 

「皆さんお盆はお墓参りにいきましたか?私の父の墓の隣には

『故陸軍上等兵松原音蔵霊位』と刻んだ石があります。父が建てたもので

石にはこのように刻んであります。

 

『故人は熊本県上益城に生ル天涯孤獨の人なり

第二次大戦に印度支那ユエに於いて作戦中敵兵営に我に続いて突入

我負傷するや背負ひて門外に救出すると共に前頭部貫通銃創を負い戦死す

昭和二十年三月九日夜半のことなり今日我家栄此の松原一兵士の御蔭なり

謹んで慰向すべきを刻記して子孫に傳べく一基を建つなり』

 

 父と同じ部隊に所属していた松原さんは熊本県出身の身寄りのない方でした。

体が大きく食事も自分の分だけでは足りないので父が分けてあげたり、読み書きが

苦手だったので手紙の代筆をしたりしていたので、とても父を慕ってくれていたそうです。

 

終戦のおよそ5か月前、昭和20年3月9日は「明号作戦」が始まった日です。

この作戦は、ベトナムを保護国として支配していたフランス軍との戦いです。

3月9日の夜半、父は敵陣に突入した際、機関銃により、臀部、大腿部、膝に

被弾し倒れました。父に続いて突入した松原さんは、倒れた父を背負って城門の外に

助け出してくれました。しかし、松原さんは城門の外に出ると同時に

前頭部に被弾し戦死してしまいました。 

 

松原さんは身寄りがありませんから、父は松原音蔵さんという人の生きてきた記憶と恩を

自分の子孫に伝えその心に永くとどめようと、この石に刻んだのです。

松原さんが亡くなり、父が負傷し、70年が経とうとしている4年前の8月15日の

終戦記念日に私はベトナムのフエ(ユエ)に行きました。

フエには行きましたが、父がどこで負傷したのかそして松原さんがどこで亡くなったのか、

詳しい話は聞いていなかったので正確な場所はわかりません。城門の外に運び出してくれた

ということですが、城も複数あるし、ベトナム最後のグエン王朝の王宮のどこかだとしても

城門が10か所以上あるので確かな場所はわかりません。そのうえ、ベトナム戦争で大きく

破壊されているし、城壁に残る銃弾の跡もいつの戦争のものか分かりませんでした。今思えば、

太平洋戦争でつらい経験をし、負傷した父から戦争についての話をあまり聞いていませんでした。

もっと詳しくきいておけばよかったと思っています。

 

その少ない話の中で印象に残っているのは意外にも戦争のことではなく、学歴についてです。

高等小学校卒という学歴が軍隊という組織のなかでも、戦争という異常な状態の中でも

理不尽な思いをした大きな要因となったということです。また、戦争から戻って、

新たな職を探す時、被弾による傷で不自由になった足よりも、障害となったのは

学歴だったということです。

 

皆さんは、幸いにして学ぶことのできる環境が整っているわけです。どこまでの学歴を身につけるか

自分で選べる立場にいるのです。この立場を大切にし、十分な努力をして、実力の伴った、中身の伴った学歴を

つけてください。私は何が何でも大学へ行きなさいと言っているわけではありません。皆さんには与えられた

恵まれた環境と能力を活かす責任があり、活かしてほしいのです。

確かにこれからは学歴の時代ではない何ができるかが大切になる時代だといわれます。しかし、

そう言っている人たちのほとんどが自分自身は最高学歴を持っている人たちです。もちろん学歴だけで

生きていける時代ではない実力が必要だということを言っているわけですが、その実力を

発揮する立場に立つために、学歴が必要となる場合が多いのです。

 

以前にも話しましたが、最近リベラルアーツという言葉を良く聞きます。大学の教養課程や

教養教育、一般教養などの意味に使っています。Liberal artsは文字通り、自由に生きるための

技術なのです。自分の好きな仕事を自由に選び、自由に生きるためにも、自分の資質を伸ばし、

能力を発揮して社会で必要とされる人間となるためにも真剣に学び、教養を身につけ実力の伴った

学歴をつけなければならないのです。

ではこの夏休み、計画通りに進まなかった人も、まだ時間がありますから1週間充実した時間を

過ごしてください。行事の多い2学期ですから切り替えを上手に、勉強に部活動に学校行事に、

全力で取り組み実力の伴った学歴をつける基盤を作っていきましょう。

それでは、残り一週間、規則正しい生活で体調を整え始業式に臨んでください。」